【あらすじ】
あなたには言えなかった言葉がありますか?
心の雪は止む事なく降り積もり、二度と戻れぬ過去が私を支配する。
これはどこにでもある青春のお話ー
【登場人物】
・久瀬駿(くぜしゅん):高校2年生、野球部。母親は幼いころに他界し、父により育てられる。
・和田恋雪(わだこゆき):高校2年生、吹奏楽部。駿の幼馴染。父親が経営するバッティングセンターの店番をよくやらされている
・三浦奈桜(みうらなお):高校1年生、野球部マネージャー。中学までは選手だった。母親の再婚で駿の妹になる
【本文】
場面:(恋雪が店番をするバッティングセンターを訪れる駿)
駿「よっ」
恋雪「5分遅刻」
駿「いつから予約制になったんだ?このバッティングセンター」
恋雪「いつも満員御礼だからね」
駿「確かに、閑古鳥は好むらしい」
恋雪「それで、何かあったの?」
駿「いや、ちょっと走りたい気分だったから、いつもより長めにアップしてただけだ」
恋雪「そ」
恋雪「いつものでいい?」
駿「あぁ」
恋雪「じゃぁ行くね、130km/h(キロ)ストレートから」
駿「良いぜ」
…………。
恋雪「相変わらずバッティングは微妙ね」
駿「うるせ」
恋雪「160km/hのストレートなんてかすりもしてないよ?」
駿「打つのが目的じゃない、目を慣らしたいだけだ」
恋雪「あっそ」
駿「なんだよ」
恋雪「べっつにー」
駿「……バッティングは苦手なんだよ」
駿「だから毎日こうして練習してるんだろ」
恋雪「無料でね」
駿「感謝してる」
恋雪「ま、良いけどさ」
駿「そしたら次、変化球も混ぜてくれ」
恋雪「何セット?」
駿「10セット」
恋雪「図々しいなぁ」
恋雪「あ、そうだ」
恋雪「雰囲気出してあげよっか」
駿「雰囲気?」
恋雪「じゃじゃーん、トランペット持ってきてるんだ」
駿「なんでだよ」
恋雪「私だって吹部の大会近いんだから、練習したいわけよ」
駿「頑張れよ」
恋雪「ありがと」
恋雪「でもそのままお返ししますよ」
駿「うざ」
恋雪「何がいい?」
駿「仕事人」
恋雪「えー、まぁいいけど」
駿「甲子園であれ聞くの好きなんだよなぁ」
恋雪「しょうがないなぁ、今回だけだからね」
恋雪「では……」
恋雪「ッ!」
…………。
……。
駿「っしゃーこい!」
駿「ッ!」
恋雪「ストラーイク」
駿「うるせ」
恋雪「最終回2アウト満塁、一打逆転の場面で、追い込まれた久瀬選手、意地を見せられるか」
駿「ッ!」
奈桜「ナイバッチっ!」
奈桜「今のあたりなら、三遊間抜けてますね」
恋雪「えっと……」
駿「なんだ?恋雪の知り合いか?」
恋雪「駿の知り合いじゃないの?」
駿「知らん」
奈桜「津田沼(つだぬま)シニアのおととしのエース、久瀬駿投手」
奈桜「去年は、1年生ながら、初戦の先発マウンドに上がり、5回6奪三振0四球の好投」
恋雪「すご」
恋雪「えっと、新しいマネージャーさん?」
駿「……、もしかして、去年の大会の……」
奈桜「覚えてくれてたんですね!」
奈桜「サインありがとうございました」
駿「おう」
恋雪「なんの話?」
奈桜「去年の夏の大会の時に、お願いして帽子にサインを入れて頂いたんです」
駿「神奈川の方のシニアチームの三浦投手」
奈桜「三浦奈桜です」
恋雪「えーっと、言いにくいんだけど、追っかけって事?」
奈桜「はい!といいたいところですけど、もうすぐ久瀬奈桜になります」
恋雪「……?」
駿「……ここを教えたのは親父か」
奈桜「駿くん、ドタキャンは流石にダメだよ」
駿「ルーティーンが崩れる」
恋雪「まったく話についていけてないんだけど、私だけ?」
駿「親父、再婚するんだ」
駿「再婚相手の子供が三浦投手……そうだろ?」
奈桜「呼び捨てにしてください、もう選手じゃないですし、妹になるんですから」
恋雪「えーっと、駿のお父さんが結婚して、三浦さんが駿の妹になる……」
恋雪「二人とも、もともと知り合いで、三浦さんは駿のファン」
駿「ファンというか、シニアの時に御互い完投でタイブレーク(※)まで競(せ)ったことがある」
奈桜「懐かしいですね、あれが私の最後の完投試合です」
駿「もうやってないのか?」
奈桜「はい、中学最後の年は控えでした。抗えないものですね」
駿「そうか」
奈桜「選手はやめちゃいましたが、今は相模の野球部で栄養管理をしてます」
駿「ということは兄妹でも敵って事だな」
奈桜「いえ、当然私も転校しますよ?」
恋雪「そんな簡単にいいの?相模って言ったら甲子園常連校だよね?」
奈桜「駿くんと甲子園目指せるんですよ?迷う余地ないです」
恋雪「そ、そうなんだ……」
恋雪「なんだか、駿と同じにおいがする」
奈桜「恋雪さん、これからもよろしくお願いしますっ!」
奈桜「私も、仕事人、大好きなんですっ」
駿「気が合うな」
奈桜「仕事人が嫌いな選手なんていないんじゃないですか?」
駿「確かに」
奈桜「それはそうと、流石にお母さんが悲しんでるので、顔くらい出してください」
奈桜「再婚前の顔合わせなんですから」
駿「打ち終わったらな」
奈桜「今日はもうおしまいです」
駿「そういうわけには」
奈桜「お兄ちゃん、行くよ」
駿「……わかったよ」
恋雪「駿が素直だ、三浦さん何者……」
奈桜「後で食事内容とか聞かせてください」
奈桜「今の高校野球はスポーツ科学無しでは勝てないんですから」
場面:(半年後、同じくバッティングセンター)
奈桜「恋雪さん、こんにちは」
恋雪「奈桜ちゃん、いらっしゃい。あと、駿も」
駿「おう」
恋雪「この半年、毎日毎日、奈桜ちゃんだって忙しいんだから、こんなところにまで付き合わせなくたって」
奈桜「いえ、私が付いてきたいって、いつもお願いしてるんです」
奈桜「駿くんと一緒に走るの好きなので」
駿「奈桜、アップは10本で良いか?」
奈桜「うん、今日のメニューは、50mダッシュ10本と、フリーバッティング30球、最後にエンドラン10本連続成功できるまでエンドレス」
駿「了解」
奈桜「ダッシュは私もやるね」
駿「おう」
恋雪「こんなすんなりと兄妹になれるもんなんだねぇ」
奈桜「荷物、置かせておいてもらっていいですか?」
恋雪「あ、うん、大丈夫」
奈桜「ありがとうございます!」
…………。
恋雪「あ、奈桜ちゃんノート置きっぱなしだよ~って、もう行っちゃったか……」
恋雪「それにしても、このノートボロボロ」
恋雪「いつも奈桜ちゃんが持ってるやつだよね、日記とかじゃないだろうし少しくらい見てもいいよね……」
恋雪「えーと、駿くんの球速を155km/hまで上げるための食事管理と練習メニュー」
恋雪「体重の1kgあたり1.5gのたんぱく質の摂取とビタミンB6の2mg摂取は必須」
恋雪「試合の3日前からは、5000Kcalをベースに炭水化物とビタミンB1 2mgの摂取で、エネルギーと集中力切れの対策をする」
恋雪「……なんだか見ちゃいけないものを見た気がする」
奈桜「あ、私のマル秘ノート、見ちゃったんですか」
恋雪「なんだかすごいね……」
奈桜「相模と違って血液検査で栄養状態を把握できないので、前より細かいかもですね」
奈桜「お兄ちゃん、ゼリー1つ飲んでからボックス立ってね」
駿「おう」
奈桜「今日はレモンのやつね、ビタミンが少し足りなくなってると思うから」
駿「了解」
恋雪「いま何km/hなの?」
奈桜「昨日ベストの152km/hまで出ました」
恋雪「すご」
奈桜「問題なく夏には155km/h出る予定です」
奈桜「今年の甲子園の最速投手の二つ名はお兄ちゃんがもらいます」
駿「奈桜はすげーよ、ほんと」
駿「正直、150km/hはあきらめてたんだよ、俺」
奈桜「去年まではストレートと縦スラ(※2)、決め球がフォークでしたからね」
奈桜「それでも十分ですけど、ストレートが軽いと全国レベルのスラッガーにはスタンドに持っていかれますから」
駿「球速が出せると、戦術の幅が広がる」
駿「何より、ストレートでとる三振は最高の気分だ」
奈桜「私もお兄ちゃんがストレートで三振とったときの右足の蹴り上げが好き!」
恋雪「へ、へぇ~」
駿「そしたらフリーバッティング行ってくる」
奈桜「常に意識するのは~」
駿「最終回2アウト満塁の俺」
奈桜「行ってらっしゃい」
恋雪「なんだか、兄妹というより付き合ってるみたい」
奈桜「そうですか?歳が近いからですかね」
恋雪「最初はちょっと心配だったけどさ」
恋雪「駿って、ちょっと人との関係に一線引くところがあるからさ」
奈桜「俺は俺、あいつはあいつって感じですよね」
恋雪「そうそう」
恋雪「でも最近はチームメイトともうまくやってるみたいだし」
奈桜「半年前は少し擦れてましたけどね、それはそれで格好良かったですけど」
恋雪「奈桜ちゃんは大丈夫?」
奈桜「そうですね、最近たまにお兄ちゃんのボールが取れなくなってきたので、少し寂しいですね」
奈桜「私ではもうお兄ちゃんと楽しくキャッチボールはできても、お兄ちゃんの為になる練習相手にはなれないんですよ」
奈桜「だからせめて走る事ぐらいは一緒に練習したいんです」
恋雪「そっか」
場面:(練習終わりグランド)
駿「グランドに礼っ!ありがとうございました!」
奈桜「ありがとうございました!」
駿「ラストの100mエンドラン20本は流石に堪えるな……」
奈桜「お兄ちゃん、はいおにぎり」
駿「あぁ、すまん」
奈桜「視聴覚室で先に見ててもらっていい?」
奈桜「去年の木更津の決勝戦を見てから、この間の木更津と習志野の練習試合の順番だからね」
駿「奈桜は用事か?」
奈桜「あ、うん、ちょっと先生に呼ばれてて」
駿「そっか、わかった」
奈桜「うん、またあとでね」
場面:(視聴覚室)
駿「木更津はやっぱり強いな、選手層があつい」
駿「投手が3年で4人、2年で2人、捕手も控えですら県屈指レベルだな」
駿「奈桜が調べたデータだと、下位打線すら長打の危険があるらしいし、この7番バッターは5番よりホームランの数も多い」
駿「どう試合を組み立てるか……っと、もうこんな時間か、奈桜遅いな……」
恋雪「はぁ、はぁ、はぁ、ここにいたんだ……」
駿「恋雪か、どうした?」
恋雪「……奈桜ちゃんは?」
駿「先生に呼ばれたとかで、まだ来てない」
恋雪「そ……」
駿「何か用か?」
恋雪「……奈桜ちゃん、さっき校舎裏にいたけど」
駿「校舎裏?」
恋雪「……ニブすぎ」
駿「なんだよ」
恋雪「いいの?私が知ったことじゃないけどさ」
駿「……」
駿「俺が口を出す話じゃない」
恋雪「なにすかしてんのよ」
恋雪「あんただから、口出せるんでしょ?」
恋雪「逆に、駿以外にそんな資格ないよ」
駿「…………」
恋雪「後悔しても知らないからね」
駿「……」
駿「そう、だよな……」
駿「すまん、教えてくれてっ」
恋雪「私にはさ、これくらいしか、もう口出せないんだよ……」
場面:(校舎裏)
駿「奈桜っ」
奈桜「お兄ちゃん!?どうしてここに?」
駿「一人か?」
奈桜「え、あ、うん」
駿「そうか」
奈桜「ごめんね、遅くなっちゃって、試合見た?どうだった?」
駿「あ、あぁ、木更津は投手層が厚いなぁと……」
奈桜「そうなんだよね、うちも4人は投げれると戦術も広がると思うんだけど」
奈桜「木更津は下位打線も気が抜けないし、点取り合戦になったら投手が薄いうちには勝ち目がないからね」
奈桜「……」
駿「何があったんだ?」
奈桜「…何が?」
駿「……」
奈桜「……」
駿「停学になったらごめんな」
奈桜「待って、別に何もないから」
駿「何もなくて、そんなつらそうな表情になるかよ」
奈桜「ほんとに、別に何もないの……」
奈桜「同じクラスの子に、その…告白されて、ちょっとびっくりしちゃっただけ」
奈桜「ほんと、それだけ」
駿「どいつだ?」
奈桜「大丈夫、大丈夫だから、駿くんが心配してきてくれただけで、私は大丈夫だから」
奈桜「ありがとう、嬉しいよ」
駿「奈桜、俺……」
奈桜「きかないよ、今は」
奈桜「夏が終わってから、私も話したいことがあるから」
駿「わかった、俺も伝えたいことがある」
奈桜「うん」
場面:(千葉県大会決勝)
恋雪「千葉県大会決勝」
恋雪「灼熱のマリンスタジアムにファンファーレが響き渡った」
恋雪「スタンドとグランド、その全てが輝きのムードを形作る」
恋雪「二遊間を鋭くえぐる、天を貫く打球音が、その熱さをさらに盛り上げた」
恋雪「私も負けじと、手にしたトランペットに魂を込める」
恋雪「2アウト、満塁」
恋雪「7回で初めて得点圏にランナーが進塁したこの投手戦は、その膠着を解き、甲子園の扉を僅かに開ける」
恋雪「ここがターニングポイント」
恋雪「ポニーテールに結いた髪が揺れる」
恋雪「野球帽のつばには、幼馴染のサイン」
恋雪「その幼馴染が打席に立つ」
恋雪「今夏は3番に座り、背番号に1を背負っている」
恋雪「駿、いけっ!」
恋雪「つばを強く掴む」
恋雪「私も何かを振り切るように、トランペットに想いを込める……」
場面:(10年後、学園)
奈桜「あの夏から10年経ったんですね」
恋雪「マリッジブルー?」
奈桜「違いますよ」
恋雪「うそうそ、本当におめでとう」
奈桜「ありがとうございます」
恋雪「遠い存在になっちゃったなぁ」
奈桜「これからも仲良くしてくださいねっ」
恋雪「明日の結婚式、本当に楽しみ」
恋雪「二人が結ばれて本当に良かった」
奈桜「恋雪さんが私たちのキューピットだったって思ってます」
恋雪「ブーケトスよろしく」
奈桜「任せてください!」
(エピローグ)
恋雪「明日は、駿と奈桜ちゃんの結婚式」
恋雪「甲子園初出場の立役者が学園で式をあげるとなれば、前日からすでにお祭りムードが漂っている」
恋雪「吹奏楽部顧問となった私は、指揮者としてファンファーレを贈るのだ」
※:延長戦においても試合が決しない場合、点数が入りやすい形でプレーをスタートするルール。この場合、1アウト満塁から攻撃がスタートする
※2:斜め縦に切れる変化をするスライダーの1種
※3:伝説とされるPL学園の甲子園の応援歌